久々の更新です。
しばらくブログを更新していない間に、iPad2を買いました。それが大して期待していなかった割には「ものすごく良い」んですね。なにがこんなに良いんだろうとずっと考えていて、ようやく結論めいたものが見えたのですが、それは結構大事なことだと思ったので、一応ブログに書きとめておくことにします。
初代iPadはなんかイマイチだったんですよね
実は、僕は約一年前に期待感たっぷりに初代iPadを購入したのですが、結局ほとんど使わずじまいでした。理由はいくつもあります。分かりやすいところでは「ソフトウェアキーボードが使いづらい」点などが挙げられるのですが、しかし実際のところは、それが全てではありませんでした。なにか、しっくり来ないんですね。モノとしての愛着も沸きづらかった。
今までは、何がそういう「微妙な違和感」に繋がっているのかを理解できなくて、「結局iPadっていうのは、商品企画そのものが中途半端だったんじゃねーの?」とか思っていたわけですが、今回iPad2を使い始めて、iPadの魅力を再発見することとなりました。誤解しててごめんなさいアップルさん。また同時に、何がその「微妙な違和感」だったのかも、なんとなく分かった気がします。
iPad2の改善点
では、iPad2になって、一体何が変わったのでしょう。
分かりやすいところでは、まずA4に替わってA5のデュアルコアになった。薄く、軽くなった。カメラが二つ付いた。こんな所でしょうか。一見すると、このアップデートには、全く派手さはありません。僕自身、最初にiPad2に触ったときは「なんだ、大して変わってないじゃん。これなら買い換える必要はないな」と思ったくらいですから。
しかし、実はiPad2は、スペックからは分からないくらいに良くなっているのです。僕が実際に持ち運んで使い続けた結論は、iPad2は「初代とは全く別のモノになっている」こと、そして「MacBookやiPhoneに負けないほどに愛着のわく道具になっている」ことです。
iPad2の何がそんなに変わったのか
iPad2を使うようになって、僕は初代には感じなかったような「愛着」を感じるようになりました。これは、「道具」としては極めて重要なことです。日々持ち歩きたいと思わせることができるか。多少荷物が増えても、鞄に入れて連れ歩きたいと思うか。このハードルは、実は思った以上に大きいのですね。そして、それをクリアできるかどうかを左右する最大の要素は、実は「スペック」ではありません。一番大事なのは、「モノとしての気持ちの良さ」のような、感性に訴えかけるものなのです。
この感覚は、どちらかというと文房具選びに近いものがあります。僕は実は子供の頃からかなり文房具が好きで、今だって万年筆は手元に10本以上あるし、それこそノートだってダイアリーだって便箋だってファイルだって、様々な製品を山ほど使ってきました。しかし、その中で本当に愛着を持って使える製品はごくわずか。その違いはなに?と聞かれると、それは本当に些細な、意識しなければ気づかないような差でしかありません。たとえば紙の微妙な薄さや白色の違い。罫線の印刷の濃さの違い。ミシン目のクオリティ。ペンの重心の位置のわずかな違い。インクの発色の差。持ったときに手に伝わる重さ。そういう細部の違いが積み重なり、やがて大きな違いになって現れるのですね。
これは、作り手側が文具を作る際に「どこまでこだわっているか」によるところが大きいのではないでしょうか。単に偶然が重なって「気持ちの良い道具」ができ上がるとは思えません。
気持ちの良い文具には、それだけ作り手のこだわりや思いがこもっています。その違いは、言葉で説明しなくても、使う側にも熱量となって伝わるんですね。
iPad2は、もはや文具の域
さて、そこでiPad2の「気持ちよさ」とか「愛着」を考えます。
iPad2は、その点において、初代とは全く別物になったと言って良いでしょう。そしてその理由は、文具と同じように、数字からは読み取れないところにあります。
持ち上げたときに手に伝わる「重み」。掴んだときに感じる適度な「薄さ感」。モニターと枠の部分の絶妙なバランス。ボタンのクリック感と柔らかさのバランス。スマートカバーが締まるときの「パタン」という、硬さを残しつつ角の丸められた音。などなど。
こういうわずかな違いが積み重なって、結果として、iPad2は初代とはまるっきり別次元の気持ちよさを手に入れたのではないかと思うのです。少なくとも、モノとしての完成度は、初代とは全く別物です。iPad2から伝わってくる「デキの良さ」は、MacBook Airすらも超えているのではないでしょうか。というより、キーボードがない分、高い凝縮度と軽快さを両立していると言って良いでしょう。
そしてもちろん、こういった五感に訴える「道具としての素性の良さ」は、その内部に詰め込まれたA5のプロセッサーや美しい液晶などのスペックに支えられて、最後までその気持ちよさが裏切られることはありません。
こうしてiPad2を使っていると、初代iPadはまだまだ試行錯誤のただ中だったのだなあということもよく分かります。単なる板状の製品でも、筐体にこれほどデザイン改善の余地があったとは。初代は、重さも明らかに重すぎますし、純正カバーも、そこはかとなく残念感が漂います。今、改めて初代iPadを触ると、なんというか、道具として「スカスカ」な感じがするんですよねぇ。
「こういうプロダクトにしたい」という明確な意志
iPad2を触って感じるのは、おそらくアップルは「どういうプロダクトにしたいか」という明確な意志のもとにデザインやスペックを詰めていったのだろうということです。
どういう人たちに、どういうシーンでどう使って欲しいか。iPadを魅力的なツールにするためには、どんな感性に訴える必要があるのか。何を磨けばよいのか。
単に最新のテクノロジーを詰め込んでも、それだけでは「気持ちの良い」ツールはできません。それは文具で言えば、ただ紙に線を印刷してホチキスや糊で綴じただけのノートを作るに等しいことでしょう。アップルがすごいのは、テクノロジーをパッケージして出すだけでなく、それを「気持ちよさ」を感じるところまでツールとして高めていくことができる点なのですね。
ということで、iPad2、可愛いです。(PRODUCT) REDのスマートカバーを付けて、FREITAGのスリーブに入れたりしたら、なんかもうステキすぎて(^^)
最近のコメント